借入残高・追加借入・限度額の増額・計画的な利用など|キャッシング用語集

借入残高・追加借入・限度額の増額・計画的な利用など|キャッシング用語集

この記事では、キャッシングの用語の中でも「借入残高」「追加借入」などの基礎的な用語について解説していきます。また、「友達の結婚式」など「お金が必要になる理由」でよくあるものについて「その借り入れは必要なのかどうか」を考えるヒントを書いていきます。

キャッシングの「借入残高」

キャッシングの借入残高が問題になるケースは、主に2通り。

  • 審査の時
  • 追加借入の時
  • 審査…すでに他社借入が多いかどうか
  • 追加借入…まだ与信枠に余裕があるかどうか

当然ですが、どちらも借入残高は少ないほどいい…となります。

「審査」の時については下の通りです。

  • 貸金業法第13条の2第2項の規定というルールによって、年収の3分の1までしかキャッシングできない
  • そのため、キャッシング残高が「年収の3分の1」に達している場合
  • ↑(あるいは近づいている場合)は、審査に通らない

このように「借入不可な原因」になることはあっても、借入残高がプラスに働くことはありません。

ただ「クレジットヒストリー」についてはプラスに働きます。

  • これまでまったく借金をしたことがない人より、良好な借入・返済の履歴がある人の方がいい

「実際に借金して返済した人の方が、信用できる」…ということですね。

そういう意味では、借り入れ自体が悪いのではなく、要は「まだそのキャッシング残高が残っている」…ということが問題なのです。

「追加借入」について

追加借入は「当初もらった限度額の範囲内」だったら、いくらでもOKです。自分で勝手に提携ATMなどで、追加借入できます。しかし、下のようにも言えます。

  • 最初もらった借入可能金額以上に、追加借入をしたい場合は、まず「限度額の増枠」を依頼し、それで借入枠を増やしてから、追加借入する

こういう必要があります。もちろん、増額できるかどうかはその人のクレジットスコア次第なのですが、ここではこの「限度額の増額」について書きましょう。

限度額の「増額」について

限度額の増額は、基本的に2つの方法でできます。

  • 業者・銀行に電話して、依頼する
  • 会員ページのメニューから操作する

当然ですが、中小のキャッシング業者では、下の会員ページのような便利なものはありません。なので、これができるのは大手のクレジット会社や、消費者金融のみだと思ってください。

そして、中小業者でも大手と同様にできるのが、「電話して、増枠を依頼する」というもの。これは場合によっては簡単な審査が必要になったり、年収確認資料収入証明書を提出したり…ということもあります。

当初審査した時よりも借入可能金額を増やすわけですから、現時点の年収月収を確認しないと行けない…というのは当然ですね。なので、たとえば、例を出すと下の通りです。

といった所得確認資料を提出する…ということです。そして、その増額にふさわしいだけの収入があって、その他の利用実績などにも特に問題無ければ、
それでそのまま「限度額を増額」してもらうことができます。

「計画的」な利用とは

「ご利用は計画的に」というのは、もう数十年も消費者金融のCMで使われていて、ほとんどの人にとって「馬の耳に念仏」状態になっているでしょう(笑)。

別にこれは「このフレーズが悪い」ということではなく、人間はどんな言葉にも、どんな警告にも「慣れて」しまうわけです。

(だから未だに、論語とか孫子の兵法を読んで、みんな「目からうろこが落ちた」と言っているわけですね)

そして、どうして「計画的」な利用ができないのか。その原因は、一言でいうと「生き方が定まっていない」ということにつきます。たとえば、例を出すと下の通りです。

  • 友達の結婚式でお金が必要になった」というのも、そもそも「借金」をしてまで、出席するものなのか?

こういう所から、考え始める必要があるわけです。つまり「友達とは何か」という所から、話が始まるわけですね。

実際、これは私の考え方ですが、キャッシングをしないと結婚式に出られない…という場面で「ごめん、お金ない」と言えない友達は、友達ではないと思います。

本当の友達だったら、「アホかお前(笑)」と笑って許してくれるはずです。許すというより、そもそも「出ないで怒られる」筋合いでもないわけですし、要はこういう時に何かを隠さなければいけない相手というのは、友達ではなく「知り合い」なのです。

「そんなこと言ったら、友達なんてゼロになる」と思うかも知れませんが、その通りで、人生で本当の友達など、そうそういるものではないのです。

友達に関する、ヘンリーアダムスの名言

友達・友情に関する名言で、アメリカの歴史家だったヘンリー・アダムズが、下のような名言を残しています。

人生で、本当の友達は一人いれば十分だ。二人は多すぎる。三人はまず無理だ。

  • 本当の友達は「1人」でいい
  • 「2人」は、できるかも知れないが、できても多いからいらない
  • 「3人」は、そもそもできない

つまり「本当の友達が2人」というのは、仮にできたとしても、要らないとヘンリーアダムスは言うわけですね。

もちろん、アダムスの考え方が正しいとは限りません。しかし、例えば下のような名言もあります。

12歳の頃のような友達は、もう二度とできない。もう二度と…。

これは有名なので、知っている方も多いでしょう。「スタンド・バイ・ミー」の冒頭の名セリフですね。これもやはり、作者のスティーブン・キングが、正しいとは限りません。しかし、キングにしてもアダムスにしても、そして他の著名人にしても、やはりこういう「本当の友達は、ほとんどいない」という名言が、「友情に関する格言」では多いわけですね。

何が本当かは自分で決めることですが、その人が、本当の友達かどうか考えるということは、「計画的なご利用」をキャッシングやクレジットカードでする上でも、実は一番重要なことなのです。

「重度の遅延」とは

キャッシングの世界で重度の遅延とは「61日~3ヶ月以上」の延滞日数のことをさ指します。長期延滞など、別の表現で呼ばれることもありますが、要は同じ内容です。

そして、この61日~3ヶ月にならなければすべて「軽度の遅延」となるのかというと、そうとは限りません。たとえば私はあるクレジットカードで「強制退会」になりましたが、その時の延滞日数は「1ヶ月」でした。その時はキャッシング金額が大きくて20万円だった…ということもあるのですが、何はともあれ、下のように言えます。

これらにもよるということですね。要するに、下のように言えます。

  • 総合的に信用できればそれでいいし、信用できないのであれば、強制解約にする

日常生活で人を判断する時と、クレジット会社などの判断もまったく同じと考えてください。この辺は完全にケースバイケースで、システマティックに管理されているものではありません。

(もちろん、一定のルールは当然ありますが)

「友達の結婚式」と借金

友達の結婚式に出席するためにキャッシングでお金を借りる…。というパターンは非常に多いです。これは『督促OL』などの本を読んでもわかります。

  • それなりに収入があって、職業も正社員で安定している
  • それでも借り入れ(と遅延)を繰り返す人の特徴として、「付き合いの出費が多い」

こういうことがあるそうです。もちろん、この「付き合い」の中には冠婚葬祭・友達の結婚式なども含まれます。

もちろん、純粋に友達を祝ってあげたいというなら、いいでしょう。しかし、借金してまで駆けつけるのが「本当に祝いたい気持ち」なのだろうかと、私は甚だ疑問です。

  • 「自分を犠牲にしてでも祝いたい」というのが本当の気持ち
  • …というのは間違っている
  • これは逆に言えば、自分が結婚式をあげる時、友達にお金がなくても、友達に向かって「本当の友達なら、借金してでも来い」と言う

のと同じだからです。こうして「立場が逆だったら」と考えてみるといいでしょう。もし本当の友達だったら、自分はお金のないその友達に向かって「いいよ、出れなくても。またお金できたら飲もうぜ(笑)」くらいのことは言えるでしょう。

たとえばその友達が「山田さん」だったとして、彼との友情が本物だったら、他の出席者たちも「何だ、山田来てないじゃん、薄情だな」などと言わないはずです。

  • 「山田、金ないらしい(笑)」
  • 「よし、哀れな山田に100円振り込んでおこう(笑)」

くらいの冗談で済まされるはずです。それですまないということは(つまり、出席しなければ気まずいということは)、その時点でもう「友達ではない」のです。

多分、多くの人はこれに気づいていてそれを認めるのが怖いから出席するのだと思います。友達の結婚式に限った話ではなく、「ありとあらゆることが、それを認めてしまうと怖いから」人は玉虫色の結論を、出し続けるのだと思います。

比叡山の僧侶は、親が死んでも山を下りない

比叡山で「千日回峰行」や「十二年籠山行」などの修行を始めた僧侶(行者)は、親が死んでも山を下りません。というより、「外部の情報が完全にシャットアウトされる」ので、親が死んだことすらわかりません。

なので、たとえば十二年籠山行を満行した数少ない一人である「宮本祖豊」氏などは、修行が終わった後に山を下りて、20年くらいぶりに実家に帰ったら、もうお母さんが亡くなられて、数年経っていたというくらいです。

これが良いことなのかどうかはさておき、「親の葬式くらい、出ないといけない」というのは、本当に正しい常識なのか?ということは、言えます。というのは、下のように言えるからです。

  • お葬式で「お坊さん」を呼ぶのは、彼らが我々より「仏教を知っているから」である
  • しかし、そのお坊さんたちよりはるかに「仏教を知っている」、比叡山の修行僧たちは、親が死んだことすら知らない
  • ましてや、葬式なんて出るわけがない

(そもそも、お葬式というのは儒教の文化であって、仏教ではないんですけどね)

そして、こういう現実を見てもまだ「親の葬式は絶対だ」と言うべきでしょうか。言ってもいいですが、世の人のほとんどが、こういう比叡山の修行などを知らずに「親の葬式は絶対」と思い込んでいるのは確かです。

知った上でそう思うならいいですが、知らないでそう思うのは「ただの思考停止」でしょう。

2015年『家族という病』というベストセラーが出ました。この本のAmazonのレビューは酷評の嵐ですが、売れたのは多分「タイトル」だと思います。つまり、多くの人が「家族って何だ?」と思っているのでしょう。

『堕落論』で知られる戦後の作家・坂口安吾は『欲望について ―プレヴォとラクロ―』の中で、下のように語っています。

多くの人々の家庭はたのしい棲家よりも、私にはむしろ牢獄といふ感じがする。

もちろん、これは少々偏った見方です。大部分の家庭は幸せでしょうし、特に親の介護はさておき、お子さんは可愛いものでしょう。

また、坂口安吾は少し神経症を患っていて、精神病棟に何度か入院したりしています。なので、「彼の性格が暗いから、そう見えた」という指摘もあるでしょう。

私が言いたいのは家族愛は、大事にしたい人だけがすればいいのだということ。「全員が、家族愛を持たなければいけない」という、金科玉条のルールはないのです。

これは友情でも恋愛でも、あるいは健康に対する愛でも何でも同じで―。

  • すべて、大事にしたければすればいい
  • したくなければ、しなくていい
  • ただ、それでどんな結果が起きても、それは自分が選んだことである

そのため、友達の結婚式に借金してでも出るかは出ないかは、ズバリ「自分が出たいか」だけで決めていいのです。それ以外の基準は、すべて捨てていいのです。

(もちろん、捨てなくてもいいですが、捨てるか捨てないかも「自分で」決めるのです)

「こんなことをしたら嫌われる」などと計算している時点で、もう全員、少なくとも「本当の友達」ではないのだから、その関係がどうなっても、別にかまわないはずなのです。

(理屈の上では、ですが)

つまり、私が言いたいのは―。

  • 家族や友達がどうこうではなく、何でも「世間がこうしているから」ではなく、「自分が本当にしたいか、したくないか」で決めるべき
  • その責任は、すべて自分で背負うべき

もちろん、「本当に得たい結果」を得るために「何か、周囲に合わせる必要がある」なら、その時はケースバイケースで「適切な行動」をとればいいでしょう。要は何をするにしても「100%、自分の意志で」ということです。

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