キャッシングの「信用」のまとめ ~クレジットの語源・クランチ・信用収縮など|カードローン用語集
キャッシングなどの貸金業は「信用」によって成り立っています。ここではキャッシングの用語の中でも、特に「信用」に関連するキーワードを、まとめていきます。
キャッシングの「信用」について
信用というとモラル的な言葉のようですが、英語では「信用=クレジット」(credit)という訳になります。こうして英訳を知ると、俄然「キャッシングと関係ある」…というのがわかるでしょう。
プロミスのブランド名も「約束」という英語ですが、お金の貸し借りというのは、本来人間を「信用」していないとできない仕事なんですね。(本来というか、現時点で一定の「信用」をするからこそ、相手にお金を貸すわけですが)
信用がない時代では、貸金業が成り立たなかった
日本の貸金業の歴史は、弥生時代に遡ります。
- 「貸稲」(いらしのいね)という「稲貸」があった
- つまり、お米を作りたいけど「種籾がない」という農民が、神社から「種籾」を借りて、それでお米を作る
- 収穫できたら、何倍かにして返す
こういうルールだったのです。ちなみに、この時神社に「真っ先に収める稲穂」を「初穂」と言います。初穂は宗教の用語であり、「貸金業の源泉」になる言葉でもあったんですね。
という弥生時代の歴史に始まり、その後鎌倉時代には、利銭出挙(りせんすいこ)という、現金の貸し借りが、完全に成立します。この後は、年々現代の貸金業に近くなっていきます。
(政府による規制も、まるで現代ではないかというくらい同じです)
という「長い貸金業の歴史」の中でも、実は「まったく貸金業がない時代」がありました。それが―。
- 南北朝時代
- 戦国時代
- 明治維新
この3つです。日本史が好きな人はピンときたかも知れませんが、国中が戦火に巻き込まれた時代ですね。
- こういう時代は、何か欲しいものがあったら、「相手を殺せば」いい
- お金を「借りる」必要はなく、「殺して奪えば」いい
借りるにしても督促してきたら、やはり殺せばいいのです(こうして文字にすると、本当に物騒ですが…)。
こういう時代では「誰もお金なんて貸したくない」んですね。「相手をまったく信用しない」ということです。
こういうことなのです。ちなみに、改正貸金業法が施行された直後の日本もそれに近い状態(クレジットクランチ)になったのですが、こうした改正貸金業法のデメリットは、たとえば『貸せない金融 ― 個人を追い込む金融行政』などの書籍でも、多く指摘されています。
(この『貸せない金融』は、いわゆる「消費者金融御用達の学者さん」が書かれた本ではなく、完全に中立の立場から、世界経済や日本経済を観察して書かれたものです。)
「クレジット」とは
クレジットとは「信用」のこと。クレジットカードというのは、下のように言えるからです。
こういうサービスなんですね。Wikipediaの「クレジット」の項目を見ると、下のようになります。
- ラテン語で「貸し付け」の意味
- 信用・信頼
- 借款
- 信用貸、信用販売、分割払いによる販売など
ラテン語では「貸し付け」ということですが、これをさらに調べると―。
- 最初の由来は、ラテン語の「クレド」(credo)
- これは「約束」「信条」「志」の意味
iFinanceなどでは「credo=我信ず」という訳になっていますが、これも正しいです。名詞でもあるし、こういう「一文」としても使えるということですね。
たとえば有名な言葉である、「不条理なるが故に我信ず」(テルトゥリアヌス)は、ラテン語で「Credo quia absurdum」となり、確かに「我信ず」の部分が「Credo」となっています。
(実は、テルトゥリアヌスはこの言葉を残していない…とWikipediaには書かれていますが、それはさておき)
こうしたラテン語の語源を遡っていっても、「クレジット」は「信用」とか「約束」とか「意志」という意味なんですね。確かに借金返済にもそれなりの意志力が必要なので、何となくそれを暗示しているような気もします。
「与信枠」とは
与信枠は「借入可能金額」と同義語です。利用者から見ると。もっと正確に言うと、下のようになります。
- お店で、あなたがクレジットカードを使って、買い物しようとした
- お店の人からすると、あなたが信用できる人なのかどうかわからない
- だからクレジット会社に聞く「この人、信用できますか?」と
- クレジット会社は答える「ええ、信用できます」
- 「ただし、20万円分なら」という回答
これが「与信枠」です。
- クレジット会社があなたに「信用」を「与える」
- しかし、信用には当然「上限」がある
- その「与えられた信用」の「上限」が「与信枠」である
「枠にはめられた」という表現がよくありますが―。
- 今のあなたの信用度はこのくらいなので、この「枠」の中にはまって生活してください
- いやだったら、もっと信用されるよう努力してください
人生全般で言えることですね。
信用と言えば、鳩山元総理の「トラストミー」を思い出しますが―。
- 信用というのは、「勝手にされるもの」であり、自分から「してくれ」というものではない
のです。つまり「トラストミー」して欲しかったら「トラストミー」と言ってはいけないわけです。背中で語れ、ということですね。
(余談ですが、トラストミーはオバマ大統領に「パンケーキを勧める」言葉だったそうです。いろいろと突っ込みどころが満載の発言ですが)
『貸せない金融 ― 個人を追い込む金融行政』
この本は良著です。改正貸金業法を批判する本は、いわゆる「消費者金融の御用達学者」と呼ばれる方が、書かれたものもあります。
もちろん、人間はむしろ「いろんな極端な立場」からものを見た方が、かえって全体像を見やすいので、「特定の偏った立場」というのは、むしろ良いものです(常に中立な書籍の方が、むしろ面白くも何ともないでしょう。ただのニュースですから)
なので、別に「消費者金融御用達」の学者さんでも悪くはないのですが、この本の小林幹男氏の場合は、まったく違うので、その点でも「消費者金融を擁護するような本は、抵抗がある」という方にもおすすめできます。
そして、Amazonの書籍紹介を引用しながら、内容を紹介しつつ、私の意見も交えていきます。
「お金を借りられない」社会が、いかに経済を停滞させるか。今まさに日本に起きている現象を検証する。
日本人は―。
- 借金は悪いこと
- 誰も借金しない世の中が、いい世の中
こういう「大いなる勘違い」をしていますが、そういう社会は、経済を思い切り停滞させるのです。たとえば―。
- 企業はほぼすべて、「銀行から借金」をしている
- 「無借金経営」と呼ばれる企業でも、少額だが借金をしている
- 国だって、国民から膨大な借金をしている
- 皆さんが行く街の美容員や商店も、みんな借金している
- そうして事業が続き、銀行の業務も続き、お金を預けることもできる
- つまり「借金」なしでは、資本主義は成り立たない
もちろん、「過度な借金」がいけないのは当然ですが、それを言ったら―。
- 過度な水分摂取
- 過度な食事
- 過度な運動
- 過度な愛情
- 過度な日光浴
- 過度な爆笑
このように、全部ダメでしょう。全部本来なら「体にいい」とか「幸せ」と言われるものの代表ですが、それでも「過度」になったらダメなのです(笑いすぎて死ぬ人も、本当にいますからね)。
なので、「過度な借金をして、人生をダメにした人や会社がある」からといって「借金は悪いこと」とはいえないのです(少し考えればわかることなのですが)。
ここ数年、消費者金融では10人に6~7人が融資を断わられ、事業の世界では中小企業の資金繰り倒産が続いている。
特に後半の「事業の世界では~」が、上に私が書いた内容と同じです。「企業はすべて、借り入れによって回っている」ということですね。ソフトバンクがアメリカのスプリント社を買収する時も、2兆円という「借金」をしました。それで孫社長が「お金のないダメな人間」かと言ったら、もちろん真逆なわけです。
2兆円のキャッシュ(現金)などない。だから借りる。それでいいのです。その分利息を払って、投資家や金融機関を儲けさせるのですから。事業者が借金をするのは、いいことなのです。(もちろん、うまく行けばですが)
「消費者」の借金は?
そして、問題になるのが「消費者」の借金でしょう。私の結論は―。
- これは、あまりしない方がいい
- というより、「消費」自体をしない方がいい
- お金を使って経済を回すことは大事だが、それは「事業者」としてやった方がいい
- ↑(そうすれば、税金も払わなくていい)
「でも、全員が事業者に回ったら、お客さんがいなくなる」という反論もあるでしょう。その通りですが―。
- そういう人生は辛いので、どうせほとんどの人はやらない
- 消費者になる方が楽だから、みんなそうする
- だから「お客さんがいなくなる」ことはない
これでは「個人」の解決であって、「社会」の解決にはならないと思うかもしれませんが、「社会全体を救う」というのは、私から見れば「多分無理」なのです。
- マクドナルドで、利用者に対して「欲しいメニュー」のアンケートをとると、常に「健康なメニュー」がトップに上がった
- しかし、実際に作ってみると、誰も食べない
- だから、「逆に、思い切り不健康なメガマック」を出したら、大ヒットした
こういう現実があります。(悲しい現実ですが)
ちなみに、この「社会全体を救うことは考えない方がいい」というのは、あらゆる古典や現代の哲学を見ても、多くの人が共通してそう言っています。『貸せない金融』の紹介はここでひとまず区切り、この「金融も含めて、社会全体を救うことなど、考えない方がいい」ということを、書いていきます。
楚辞「滄浪の水」と、五木寛之「大河の一滴」
五木寛之さんの代表作といえば『大河の一滴』ですが、その中で、楚辞の「滄浪の水」というエピソードが紹介されています。箇条書きすると下のようになります。
- 楚の国に、屈原という「国を憂える士」がいた
- 彼がどれだけ奮闘しても、腐敗した政府は変わらない
- 苦悩する屈原に、通りすがりの漁夫が、こう言った
- 「もし、川の水が濁っていたら、足を洗えばいい」
- 「もし、川の水が綺麗だったら、冠の紐を洗えばいい」
つまり「大きな流れには、逆らうな」ということです。
これが良いか悪いかは賛否両論あるでしょう。ただ、私が思うのは―。
- 「国全体」を考える人に限って、「自分の仕事・健康・家族」は、大事にできていないことが多い
- 「国とか世界」なんていう、自分でコントロールしようがないものにこだわるより、「自分がコントロールできる、自分の仕事・生活」を、完璧にするべきでは?
これも賛否両論あるでしょうが、比叡山(天台宗)の開祖・最澄は、こういう考えです。これを「一隅を照らす」というのですが、最近のベストセラーで言えば「置かれた場所で咲きなさい」ということですね。
これはアップルのスローガンでいうと「世界を変える。ただし、一人ずつだ」となります。
- 原文…Change the world one person at a time.
- 直訳…世界を変えよう、一人ずつ
これはジョブズがアップルに復帰した1997年頃に定着したフレーズです。何はともあれ、下のように言えます。
- 中国古典(楚辞)にしても
- 小説家(五木寛之)にしても
- キリスト教(置かれた場所で咲きなさい)にしても
- ビジネス(アップル)にしても
みんな「世界を変えるより、自分の周りから変わった方がいい」ということを言っているわけですね。これでもまだ「日本経済がどうこう」とか「日米安保がどうこう」という人は、それはそれで自由でしょう。
(もちろん、それが「仕事」であれば、それはとてもいいことだと思います。しかし、仕事でないのにそれをやっている人は「自分の仕事は何なのか」をよく考えた方がいいでしょう)
「クレジット・クランチ」とは
クレジットクランチとは「企業の資金調達が、難しくなる状態」のこと。箇条書きすると下のようになります。
- 主に不景気などが原因で、銀行が「貸し渋り」を行い、企業がお金を回すことができず、さらに不景気が加速し、さらに…
こういう悪循環です。日本語でいうと「信用収縮」といいます。上で紹介した『貸せない金融』というタイトルの「貸せない」というのも、クレジットクランチが原因です。世間でお金が回ってない以上、うちが貸したお金も回って戻ってくるかわからないから、うちも貸さないという考え方ですね。
「金は天下の回り物」という考え方は、「みんなで回して」初めて成り立つわけです。誰かが止まったら、隣の人も止まってしまうわけですね。