浪費・賭博・射幸行為によるキャッシング破産のまとめ~自己破産ができなくなる、など|カードローン用語集
目次
浪費・賭博によるキャッシング破産のまとめ
この記事では、浪費や賭博による、キャッシングの破産リスクについて書いています。こうした行為が借金地獄に陥りやすい…というのは知っての通りですが―。
キャッシングの破産のリスク
キャッシングの破産のリスクは、普通に利用している分にはありません。当たり前ですが。では、どういう人が特に破産しやすいのかというと、下の通りです。
これは別に「投資が悪い」というわけではなく―。
- 投資は「しっかり勉強した人」がやるものである
- そして、投資では「生活資金」をつぎ込んではいけない、というのは常識
- まして「借金」を賭けてはいけない、のも基本中の基本
- その逆をやっている時点で、投資の勉強もしていないので、まず撤退して、勉強しなおした方がいい
つまり「投資が悪い」のではなく「借り入れで投資をする」のが悪い…ということですね。(自己資金でするなら、投資はいいものです。自己資金と言っても、生活資金ではない「余裕資金」でないといけませんが)
「浪費」でのキャッシング
浪費でのキャッシング・借り入れは「免責不許可事由」となっています。
多くの人は「自己破産すれば、必ず借金帳消しになる」と思っているでしょうが、実は違うのです。
- 自己破産した後、裁判所から「免責」という許可がおりて、初めて「借金帳消し」になる
そして、浪費での借り入れといのは、この免責が「認められない」利用用途になっています(当然ですが)。
なので、例えば―。
- 明らかに無駄な買い物をしまくった
- 風俗店やキャバクラ・ホストクラブなどで豪遊していた
こういう原因で返済不能になった場合は、自己破産もできず、一生労働しながら、それを地道に返済していかないと、いけないかも知れないわけです。まさに返済地獄ですね。
浪費は、決して幸せなものではありません。それは「借金は麻薬」という記事でも書きましたが―。
- 脳の「大脳新皮質」(理性を司る部分)が退化し、ものを「幸せに考える」能力が衰える
こういうことを書くと、「ああ、はいはい。キレイ事乙」と思うでしょう。私だったらそう思います(笑)。でも、これがキレイ事でないことは、下のように言えます。
- あなたがこれまで街角で見かけた、「最も自制心のない老人」
を想像すればわかるでしょう。「ああ、なりたくないわ」と思うはずです(笑)。人を見下すのは良くないですが、それでも「こういう老人にだけは、絶対になりたくない」と思う人と、街中で会ったことは、誰でもあるはずです。
彼らこそまさに「大脳新皮質の退化した人」なんですね。老人でなくても若者でもいいですが。
この「ああはなりたくない」という気持ちは、実は「こうなりたい」という願望より、心理学的に効果があることが知られています(動物は、恐怖心の方に強く反応するのです)
なので、あえてこういう例を挙げましたが、こうした例で考えると「浪費などをしない」「金銭感覚のしっかりした人生」の方が幸せである…ということは、よくわかるでしょう。
(快楽と幸せは、イコールではないのです。これは「快楽主義」の語源である、エピクロスという哲学者が説いたことです。本来の快楽主義は、むしろ「禁欲主義」なんですね)
「借金帳消し」について
日本史の「徳政令」もそうですが、昔から「借金帳消し」という文化は、日本にありました。現在だったら自己破産ですが、浪費の部分で書いた通り、自己破産をすれば、必ずしも借金帳消しにしてもらえる…というわけではないんですね。
この「免責不許可事由」という「借金がチャラにならない」ケースが、法律のどこに書かれているかというと、下の通りです。
- 「破産法」の
- 「252条1項」
このようになっています。そして、この条文の中で、浪費について触れている部分を引用すると下のようになります。
浪費又は賭博その他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと
要約すると下のようになります。
このような人は「自己破産できませんよ」(借金帳消しになりませんよ)ということを書いているんですね。
「射幸行為」とは
射幸行為(しゃこうこうい)とは、『デジタル大辞泉』の定義では―。
偶然に得られる成功や利益を当てにする行為
となっています。つまり、ギャンブル全般ですが―。
- 競馬
- 競輪
- 競艇
- 宝くじ
- パチンコ
- スロット
- カジノ
「競馬」と借金
競馬と借金は非常に相性が良いです(あまり嬉しくないですね)。そして、意外なのは―。
- 武富士創業者の、武井保雄氏も、競馬が大好きだった
それも「社長になる前」ではなく、「なった後もずっとやっていた」んですね。これは『武富士流 金儲けの極意』にも、書かれています。武井保雄氏の娘婿で、政治家だった高島望氏が書かれた本です。
武井保雄氏が競馬好きだった理由は「勝負の勘を磨くため」だったとのこと。経営でも、武井保雄氏の場合、ここ一番では「野生の勘」が必要だったそうで、それを磨くためにやっていた…とのことです。
会社経営にどこまで「野生の勘」が必要かはわかりませんが、たとえば『お金持ちの教科書』シリーズの加谷珪一氏などは―。
- 限界まで努力しても、成功率は50%程度までしか上げられず、残り半分は「運」である
こういう内容を書かれています。(これは、努力を否定しているのではなく、努力すれば、成功率を50%まで上げられる、という前向きな意味で書かれています。一般人からすると「死ぬほど努力しても、50%なのか…という感じでしょうが。笑)
このように「サラ金の代名詞」である武富士の会長も、競馬好きだったというのは、少々意外かも知れませんが、「その理由」を知ると、うなずける部分はあります。
ただ、武井保雄氏は若い頃は英雄だったのですが、青年期の無理がたたって、老後は脳や体が弱ってしまったようです。自分の子供を会社の役員にして、他の幹部の前で「ちゃん付け」で呼んでべた褒めするなど、若い頃の武井氏だったらありえないような姿を見せていましたそうです。
あくまで書籍で読んだだけで、直接拝見したわけではありませんが、読む限り「晩年の豊臣秀吉に似ているな」と感じました。豊臣秀頼をベタ可愛がりして、幼児だった秀頼に向かって
「お拾い(秀頼)に歯向かう者は、この秀吉がすぐに飛んで行って叩き殺してやろう。」
などと言っていたそうです。
(参考ページ)http://kh16549.blog.fc2.com/blog-category-12.html
「石川啄木」の借金
「浪費」のために借金する人は、古今東西多くいます。日本で一番有名なのは、石川啄木でしょう。彼の人生は、借金苦で破産したからこそ面白いのですが、その人生がどれだけ悲惨だったか、軽く箇条書きしましょう。
- 26才で、貧困のために死亡
- お金がないので、医者も来てくれなかった
- その前に、母親も死亡(啄木がまともに養わなかったので)
- その2年前には、生まれたばかりの長男が、3週間で死亡(これも貧困のせい)
- 啄木が死んだ翌年、妻の節子も死亡(これも貧困)
- 子供二人が残されて成長したが、それぞれ24才、18才の若さで死亡
- ↑(幼少時の栄養失調が、大きな原因と思われる)
要するに「啄木が働かないせいで、みんなバタバタ亡くなってしまった」ということです。啄木の有名な短歌で―。
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
という歌があり、これは学校の先生は「親孝行の歌」などと教えています。しかし、事実は全然違って―。
- この「あまり軽き」体にしてしまったのは、他でもない「啄木」本人であり、啄木は「自分のしでかしたことの重さ」に気づいる
- 泣いてしまった
つまり「親不孝」の歌なのです。「自分は何て親不孝なのだ」という、懺悔の歌なんですね。もう一つ―。
夜おそく つとめ先よりかへり来て 今死にしてふ児を抱けるかな
という歌もあります。これは、「夜遅く、仕事から帰ってきて『今死んだばかり』という、子供を抱いた」という意味です。そして、これもやっぱり「啄木の浪費のせいで、お金がなかったから」というのが、間違いなく最大の原因なんですね。
(裕福でも、伝染病などで死ぬことはあったでしょうが、啄木の家は「薬どころか、食べ物も買えない」状態だったので。子供も「貧乏のせいで死んだ」と考えていいでしょう)
このように、啄木の短歌が「強烈」なのはその悲劇が、全部彼のせいだからです。あまりに可愛そうだけど「それをしでかしたのが、自分」という点で、さらに悲しい歌になっているわけですね。
しかし、そういう悲しさの中にも、人間愛とかユーモアがかいま見えるので、啄木の短歌は長く愛されているのです。(ちなみに、本人は短歌など全く書くつもりがなく、本当は小説を書きたかったのです。今で言うツイッターのように、短歌でストレス解消をしていたら、こんな名作が生まれてしまったのです)
これが、啄木の借金です。ちなみに、これは脚色でも何でもなく『ローマ字日記』という日記で、本人が全て書き残していることです。(それだけに、これは日記文学の名作と言われているのですが)
啄木の浪費・風俗遊びの激しさは、現代の日本人の(そういうタイプの)多重債務者など、目でもないくらいです。それだけ金銭感覚が破綻していたからこそ、これだけの悲劇を招き、悲劇を招いたから名作が書けたわけですが―。
人間万事、塞翁が馬という言葉どおり、結局「禍福は糾える縄の如し」(幸福と不幸は、常にセットである)ということなのでしょう。
借金の名言「禍福は糾える縄の如し」
借金や生活苦に関連する名言としては、「禍福は糾える縄の如し」も挙げられるでしょう。
(糾えるは「あざなえる」と読みます)
「禍福糾縄」という四字熟語にもなっていますが、これは、下の通りです。
- 禍福=幸福と不幸は、「縄」が「2本の紐」を編んで作られているように、お互いが絡まりあってこそ存在する、「一体のもの」なのだ
こういう意味です。これとよく似ている言葉で、同じく中国古典の有名な故事成語「人間万事、塞翁が馬」もあります。
これらの言葉を、借金や貧困に絡めていうなら、たとえば「さだまさし」さんの借金があるでしょう。箇条書きすると下のようになります。
- さださんは、29才の時に約30億円の借金を背負った
- ↑(映画『長江』の制作費用)
- そして、それを30年近くかけて、ようやく完済した
利息だけで何億円も払ったようですが、そうした借金生活を振り返って、さださんはこう言われています。
- 借金があって、よかった
- 借金がなかったら、歌もギターももっと下手だった
これは強がりではなく、本当にそうなのでしょう。たとえば『関白失脚』の歌詞などは、まさに「貧乏をした人」だから書けるものです。
「お前を嫁にもらったけれど、言うに言えないことだらけ」
…から始まる歌ですね(笑)。たとえばこういう歌を桑田佳祐氏などが書いても、多分『関白失脚』ほどのリアリティはなかったでしょう(もちろん、桑田佳祐も私は好きなのですが)
「借金と女は芸の肥やし」というのは、昔から漫才師などの世界で言われてきたことですが、さださんの場合も、そうだったのかも知れません(ちなみに、彼のライブは歌よりトークの方が長く、ほぼ漫才のライブになっていることで有名です)